私も以前の仕事で身体を壊し、脚の痛みで約2年もの間、仕事から離れるという時期がありました。それまで就職して十数年間大した
病気もせず、ぎっくり腰さえなったこともありませんでした。その頃私は職場の人たちが、なんでそんなにエネルギーがあるのか不思議がるくらい動き続けていました。仕事にも遊びにも仲間と過ごす時間も、
24時間をフルに使って過ごしていました。そういう時期というものは多くの人もあるんじゃないでしょうか。
多少しんどい事もありながらも、その時はそれで充実していましたし、その頃の社会経験がいまでも人生経験となっています。
そんな調子にのっていた自分でしたが、でも本当は、そんなに自分の資源はなかったようです。たとえは良くないかもしれませんが、使いすぎて前借りした分は後で回収されてしまいました。
退職する少しまえから、おしりのあたりに痛みはありましたが「少し休めば回復するだろう」くらいの気持ちでした。しかし退職した途端それは一気にひどくなり、
良くなるどころか2年もの間、脚を引きずりながら治療院めぐりをすることになったのです。
病院ではこれといった原因もなく、ネットや本屋で良さそうなところを調べては、相談に行きました。自分でも何故この痛みは無くならないんだろう、痛みの原因はなんだろう?と素人ながらも調べては仮説を立てたりしていました。
しかし、あせればあせるほど症状は「少し良くなったと思えばぶりかえす」の繰り返しでした。そのうち通うのが仕事みたいになり、行かない日は落ち着かなくなっていました。
このころにはおそらく、心(あせる気持ちや希望)にからだはついて行ってなかったんだと思います。
いくら通ってもなかなか回復しないある時、「ちょっとさぼってみようかな」と「通わなければいけない」「毎日のように受けないと早くよくならない」と思い込んで通っていたのを減らしてみたのです。
そうすると、徐々に痛みがやわらいでいき、それから完全に痛みがなくなるまでは期間はかかりましたが、確実に回復してゆきました。気が付いた事は、どんなすばらしい治療法でも結局、自身の回復を待つしかなく、
少し何かをほどこして、からだがそれに反応して変わってゆく時間が必要だったんだとわかりました。治療であれ、薬であれ、「今すぐにしなければいけない」という緊急のものでなければ結局は自身の戻ろうというちからを手伝う事しか出来ないのではないでしょうか。自分のからだは自分がよく解っているようで、「実は都合のいいように使っていたのでは」と思うようになりました。
「壊すだけ壊しといて、そんなあせっても一気に回復なんか虫がよい、ちょっと待って欲しい。」 からだはそう訴えていたのかもしれません。
外傷や骨折であれば待つしかないのは普通分かります。しかしこの痛みに関しては骨が折れてるわけでもないので、なるべく毎日のように受けた方が早く良くなると思い込み、その焦りがまた違った負担をからだに与えていました。またそういったアドバイスもあまりありませんでした。
他にも色々な事がありましたが、その時の経験や想いをもとに、なわて整体をつくりました。
私が学ばせて頂いて、なわて整体の施術の大きな力になった、「BRM療法」を創案された吉田邦夫先生の教えの中に、
「今日調整したところに、からだの他の部分がどんな反応があるか、ご自身にあえて受け入れてもらうのも大切なことです。」
という意味のものがあります。このホームページをご覧の方は、おそらくなんらかのお悩みをお持ちの方だと思います。世の中には、お医者様をはじめ、たくさんの素晴らしい先生方がそれぞれの”おもい”のもとに色んな方々の悩みに取り組まれています。どこかに通われているみなさんも、
”ご自身のからだの声を訊きながら”という事をご参考にされてみてください。